2005/01/08 | [夏亚的理想论]
类别(尘封过去) | 评论(0) | 阅读(76) | 发表于 19:22


初代時代のシャアは、まずザビ家の復讐に燃える男だった。なんとなくギラっとしたものを感じ、野心家という印象を受けた。初代のイメージが根強くあるだけに、逆襲のシャアで、ミライが「シャアは純粋すぎる人よ」とか、ララァが「彼は純粋よ」と言ったのにはかなりの違和感を感じた。まさにアムロの「純粋だと!?」の台詞を言いたくなってしまったほどである。しかし、ガルマを騙し討ちし、キシリアに拾われた後からシャアの考え方が変わってくる。とりあえず初代を見てる限りではジャブローの頃からララァが出てくるまでは打倒ガンダムしか印象を受けないが、テキサスでセイラと再会した時や、グワジンの中でキシリアと話してるあたりで考え方が変わってきた事を感じ取れる。ザビ家打倒は二の次となり、ニュータイプに興味を持ち、ニュータイプの世の到来を夢見るようになりはじめる。それ以降のシャアは自分の立場にあって、自分の理想を遂げようという行動に変わってくる。ア-バオア-クーでニュータイプのアムロを同志に引き込もうともしている。しかし、初代においては具体的な行動はとっていないといえよう。

Zになるとシャアはエゥーゴに身を投じ、ニュータイプの時代の到来の邪魔になると思われるティターンズと戦っている。この時はあくまでも地球を守るという立場である。この頃までのシャアはニュータイプの時代の到来を待つといった態度であり、それの邪魔となる存在を排除しようとしていた。ダカールの演説はシャアの考え方をよく表している。また、シロッコやハマーンとの三つ巴の戦いにおいて、シャアは「私が手を下さなくとも、ニュータイプへの覚醒で人類は変わる。その時を待つ」と言っている。つまり、急進的にニュータイプの時代を作ろうとしていたのではないと言う事がわかる。

では、シャアはニュータイプの時代を作る事で何がしたかったのか。ガンダムの指導者とも言える人物は、ギレン、ジャミトフ、シロッコ、ハマーンと出てきているが、いずれも人類支配、独裁を狙っていた。ニュータイプについてはどうだったかと言えば、ギレンは全く存在を信じていず、ジャミトフは戦争の道具としか考えていない。シロッコはニュータイプ=天才と考えていて、一握りしかいないと思っている。だから、ニュータイプの時代が来るとは考えていなかっただろう。人類支配の指導者となるべきだと考えてるだけである。ハマーンはどちらかと言えば、考え方がシャアに近いような気がしてならない。ただやり方が違うだけである。しかし、逆襲のシャアにおけるシャアもやってる事はハマーン以上にひどいと思うが。とはいえ、ハマーンもニュータイプ時代の到来を願っていたせよ、その頂点に立つのは、自分もしくはザビ家であって、支配欲というものが感じられる。つまり、4人とも何らかの形で人類支配をしたかったのだと言えよう。しかし、シャアはこの4人のように人類支配欲はないと言える。それは彼の言動を見ても明らかであろう。シャアは何がしたかったと言うより、見届けたかったのではないかと思う。ニュータイプの世の中とはどんなものなのかを。それは初代の映画版で、シャアがキシリアに言っている事でもある。

シャアは、Z時代においては、ニュータイプの時代をゆっくりと到来させようとしていた。そして、地球をこれ以上汚染してはならない、そのためには人類が宇宙に出る必要があると説いている。しかし、エゥーゴで戦ってる間にシャアは、地球連邦の腐った組織ぶりに失望し、グリプス戦役後姿を消す。そして、逆襲のシャアにおいて、再び現れた時には、ネオ・ジオンの総帥として、あろうことか、地球つぶしをしようとしていた。はっきり言って、この行動は矛盾している。グリプス戦役において、シャアは地球を汚染してはならない。と説いていたにも関わらず、今度は地球に隕石を落し、汚染どころか、破壊しようとしている。なぜ、こんなにも極端に変わってしまったのか。逆襲のシャアにおける、シャアの行動は今までの彼の言動からすれば、非を訴えられても仕方がないところである。しかし、ここで、問題になってくるのは、シャアの性格である。ミライやアムロの夢の中のララァが言っているように、シャアは純粋なのである。純粋であればあるほど、期待を裏切られた絶望は大きい。地球連邦の実態に絶望した彼は、その純粋さゆえに、今度はその地球連邦をつぶしてしまおうと考えたわけだ。この極端な変わりようは、シャアの純粋さをもってしか説明のしようがない。しかも、シャアは、地球に残った人々の事を、俗物だとか、愚民どもとか言っている。これではハマーンと変わりがない。ハマーンは自分以外の人の事をほとんど俗物呼ばわりしたし、自分に何かされると無礼者呼ばわりである。はっきり言って、そのレベルと全く同じであろう。地球に残った人々を粛正するというのもハマーンの考え方と同じであろう。Zにおいて、シャアとハマーンは決定的な考え方の相違によって決裂したにもかかわらず、結局考え方は同じところに落ち着いているのだ。この中で決定的に違うのは、粛正した後の人類のありようである。独裁、支配といったことをハマーンが考えていたのに対して、シャアはそれを考えていない。「人類全体をニュータイプにするためには、誰かが人類の業を背負わねばならない]と言っているようにシャアはむしろ、ニュータイプの時代の到来のために自分を犠牲にしようとまでしている。そこにシャアの理想を感じる事ができる。

しかし、シャアにはニュータイプ時代の到来と言う理想があったのだが、もうひとつ理想と言うか、目標があった。それは打倒アムロである。そして、自分がパイロットでありつづけ、常に宇宙を身体で感じていたい。と思っていたはずである。でなければ、ネオ-ジオンの総帥と言う立場にありながら、モビルスーツで出撃などと言う軽率な真似をするはずがないのである。もっとも、軽率と言ったが、シャアはやはりモビルスーツで出撃しないと面白くない。政治家のように演説して、理想を説くよりも、モビルスーツで出撃する事がシャアらしいのである。ロンデニオンでシャアがアムロに出会った時、シャアは、「私はお前と違って、パイロットだけをやっているわけにはいかん」と言っている。だが、これはアムロへの妬みである。パイロットだけをやりたいのがシャアの本音のはずなのだから。逆襲のシャアにおいては、シャア以外にカリスマとなる人物がいなかった。だからシャアはみずから総帥として立ち、そしてモビルスーツにも搭乗したのであろう。

ZZにおいて、ミネバは影武者だった。そして、設定ではシャアがミネバを救出した事になっている。では、なぜ、シャアはミネバを擁立しなかったのであろうか。ミネバを擁立すれば、シャアはもっとパイロットに専念できたはずである。ここにもシャアの理想があるのだ。Zにおいて、ハマーンが「私に同調してくれなければ排除するまでだ。その上でザビ家を再興させる。それがわかりやすく人の道を示す事になる」と言った事に対して、「又同じ過ちを繰り返すと気づかんのか!?」と言っているし、また、「よくもミネバをこうも育ててくれた」と言っているように、決して上に立たせたいと思っていなかったに違いない。では、ミネバをどうしたかったのかと言うと、これは全く検討する材料がないので、なんとも言えない。

まとめると、シャアは最もニュータイプの時代の到来を願っていた人物であるといえる。そしてシャアのその理想こそがガンダムの物語を動かして来たと言っても過言ではないのである。その行動が、地球を守りつつと言う立場から、地球をつぶすという極端な行動に変わっているとはいえ、根本にある理想は何も変わっていないし、人類を支配しようともしていない。そして、パイロットにこだわり、常に肌で宇宙を感じていたかったに違いない。こういう理想を持った点からしても、そしてその理想を実現しようとひたむきであった事からしても、シャアは純粋だと思える。このような人物は他に例を見ないのではないだろうか。


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