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2004/11/17 | ボランティア...
类别(尘封过去)
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发表于 20:58
自分の行くロースクールが,エントリーシートにボランティアの経験をかって
いることを今更のように知った。(私は,エントリーシートにボランティアの経験
を全く書いていない。)
でも,それを知っていても私は書かなかったと思う。
確かに,私は大学生活の間,ボランティアをやっていた。しかし,それが良い
ことだと思ったことはない。むしろ,「なんてボランティアって嫌な人なんだ。
私もそうか。」と思うことの方が多かった。それでも,知人の障碍者と一緒にい
ること自体が楽しかったから,ボランティアを続けていただけだ。
ボランティアは,一つ間違えば偽善である。その偽善の仮面の下に,弱い者に
対する優越感をボランティアが持っているように私はいつも感じていた。「障碍
者も健常者も皆同じ」とか「健常者などという言葉はなんて嫌な言葉だろうか」
などと言うことは,結局のところ障碍者が直面する社会の現実を無視しているだ
けなのではないのだろうか。もちろん,なかには本当にできた人間だからそのよ
うなことを言っている人もいたが,それはごく一部であった。
但し,誰もが聖人君子になれるわけもないのであり,ボランティアに偽善があ
っても責める気はない。
だが,責める気はなくとも,ボランティアをすることが善とすることはどうな
のだろうか。私はどうも,善であると言い切って,枠組みを作ってしまうことに
は抵抗を感じる。
私に倫理観が欠如しているからなのかもしれないが,私にとっては「それが良
いことだから」やったのではなく,「私がそうしたかったから」やったにすぎな
いのだ。「良いことだ」といわれてやる人間は,本当に良い人か,反対給付を求
めるずる賢い人だと思う。
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